今年、身近な二人の死に立ち会いました。
大正生まれの祖母は96歳で息を引き取りましたが、死に対しての価値感をがらりと変えてくれた亡くなり方でした。
病気ではなく、老衰に近い最後でした。
特養で快適にケアされ、延命治療や投薬がない環境で意識が無くなってから約二週間後の大潮の日に息を引き取りました。
潮の満ち引きに合わせて、人は亡くなるといいます。
月と地球のバランスに乗って命を全うした祖母は、驚くくらいキレイな顔をしていていました。
肌の艶や透明感は96歳とは思えないもので、表情もとても穏やか。
良い人生だったんだと、そう感じられるお別れでした。
亡くなることは悲しいだけではないものかもなと、はじめてそう思ったのです。
そして今月やはり大潮の日、62歳で叔父が亡くなりました。
祖母とは対照的だった叔父。
年明けに癌が見つかり、その時点ですでに手術が出来ないくらい進行していましたが、2回にわたる抗がん剤治療を受けました。
3ヶ月の闘病でやせ細り、髪が抜け、痛みと黄疸、むくみに苦しんで亡くなりました。
少年のような優しい感情で、人見知りの私にもまっすぐに接してくれた優しい叔父さん。
お別れの時に見た叔父の顔は、闘病の辛さを現すような痛々しいものでした。
病気で亡くなるということは、やはり辛いです。
病であれば治療をする。
これは当たり前のことなのですが、
どうも自然の流れとは違うものもあるのではないかなと感じました。
あと寿命が3ヶ月だとしたら。
辛い治療で、残り短い時間を苦しみながら過ごすことが当たり前なのか。
もしかしたら治るかもしれない。
そう思って治療するのだとは思います。
難しいことです。
セルフケアのベースとなる中医学でいう
「上工治未病」とは
病気になる前にケアする医者こそが優れているという意味。
病気になったら治りません。
健康な身体には戻れない。
ただ病気を治めるだけ。
東洋医学では、病気にさせない知識と技術を持つ人を良い医者とし、
病気にさせない養生こそが、医療だとしています。
でも、病気にならないとそれに気がつかないものでもあります。
どう生きるのか?
協会では身体のセルフケアについて、いろんな発信をしていますが、
それと同じくらい心のセルフケアも大事です。
気の向け方、考え方もセルフケアのひとつ。
ただ、このことを伝えられるところまでは私は正直達していません。
数ヶ月前に、心のセルフケアについてのセミナー提案をいただいていました。
7月に開催することになりました。
この企画をいただいた意味に、今日改めて気がつきました。
やはりすべてはつながっているものですね。
7月7日開催
「西尾元さんのお話し会〜どのように生きたらいいのか〜」
与えられた寿命を全うし、
よかったねと言われながら、見送られる人生にしたいなぁと
強く感じた本日です。
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